いつも一緒 いつも見守られている

これはひょっとして?!

メインのブログにこんな記事 ↓ をアップした。


その中に


「私にあの時、それを叶えさせてくれなくて、神様ありがとうございます。」と大きな声で報告したい。
いや、実際に数年前、どこに居るのかわからない神様に少しでも届くと良いな~と心の中ででっかい声で、宇宙に響けと言わんばかりに
ありがとうございまーす
とお礼を言っていた。
(そしたら、「そんなに大きな声で言わなくても聞こえてる。」と普通に隣の人に話すような音量で、真横から返事があったという有り難い(勝手に脳内で創ったか?)感覚があった。)


という一文を書いている。


今日はこれについて書いて行きます。


数年前のメルマガに書いたこともあるので、メルマガを読んで頂いた方は

あれ?以前聞いたよ。と思うかもしれない。

当時は、こういった事を公に書くのは控えていて、メルマガを読んで下さっている方だけに内内の話なんだけど。みたいな感じでお伝えした。


そう、数年前のある 気持ちの良い風が吹いていたある夜

私はベランダに居た。

花火見物でベランダにでることも少なくなった私が、何も用事がないのに何を思ってそうしたのかは忘れた。


月が出ていたとか、そういった事は記憶に無いが、気温や風が気持ち良かったことは覚えている。


ベランダに独り。


向かいの家を眺めるわけでもないが、ぼやっと夜空を眺めていた。

HeonCheol LEEによるPixabayからの画像



すると、すぐ隣に何かの気配を感じた。

怖さなどは何にもなかった。それどころか、なんだか安心感がある。

そして、振り返ったり、其処を観ても何も見えないこともわかっていた。

その時は声も姿もなかったんだけど、気配はあった。


SF好きの方ならイメージしやすいと思うが、すぐ隣に次元のドアが開いた感じに似ている。

いきなり登場した感じがした。


で、その時に私が感じたのは、

「いつでも隣にいる」

「これまでもずっと見守られてきた。そして、これからも見守られている。」

「見えなくても、感じなくても、誰もが同じように見守られている」

私を見守って!と思わなくてももう叶ってる。生まれた時からずっとそうだった。

ただ、ナニカをしてくれるかどうかはわからない。


という事だった。


あぁ そういうことだったんだ。と感じた。


という体験(気のせいかもしれないよ)があった。



子どものやり方か?

そして、またしばらくして、

何という幸せを私は感じているのだろうか! 本当に嬉しい! 有り難い!

もうこれについてお礼を伝えずにはいられないから伝えたい!と思うようになった。


発想が完全に子どもと同じだけれど、

そうだ!大きな声で宇宙中に響くような声でお礼を言ったら、ひょっとしてどの位感謝しているのかが伝わるかもしれない。

と心の中でアニメか漫画のような大きな吹き出しに入った

「ありがとうございまーーーーーす!」ということを

なんと、日を変え、数回行った。


もうあまりに有り難くて、居てもたっても居られないってことがあるんですよ。


せめてお礼を言いたかった。


そして、ある日、自宅でいつも通り、大きく息を吸い込んで、心の中で

「ありがとうございまーーーーーす!」と叫んだら

真隣にステレオタイプの「これぞ神様」という姿が具現化されたような存在がいて

「・・・・・聞こえてる。そんなに大きな声じゃなくても十分聞こえてる。」とおっしゃった。


Stephanie CurryによるPixabayからの画像



この通りではありません。大雑把なイメージだと思って欲しい。

この脳内映像に現れた存在が「ナニカ?」ということは分かりません。

正しい名称とかは分からない。が、私は勝手に神様とした。



ただ、その顔は (ヤレヤレ)というような、あきれたような、困ったような、声がうるせーよと思っていそうな、分かってないとこうだよな。というような表情だった。


・・・・そうだった。隣にいつもいたんだった。

と、この時 数年前のあの体験を思い出した。



いつでも一緒

今ここ というのは、そういう意味でも 今ここ だと思う。

別にどこに行かなくても良い。


どこかへ行かなくてはいけないというのは、刷り込みだと思う。


いや、別に行きたければ行かれたら良いし、

あそこにしかいない。と決めていた方が楽ならそれはそうなんだろう。


ただ、

いつでも隣にいると気がつけば、隣にいる。

自分の内側に居ると気がつけば内側に居る。


こんなことがあっても、積極的にそういった存在に質問したり、対話をしたりということを全然しない自分が不思議でしょうがない時があるけれど

多分、私が知っていた方が良いことは、今までもそうだったように、分かるように配剤されると信じているのかもしれないし、

こういった方面の執着やエゴ、煩悩が低めなのかもしれない。


天の配剤と言う言葉を信じているとも言えるのかな?


後は天にお任せ。という思考展開も子どもの頃からある。

割と幼少期から自分なりの信仰心みたいなものがあるのは自覚しているが、

その「大した『型』のない、アホ程シンプルな信仰心があって良かったね。」というような事になってきたんだろう。


全然正誤を確認しようともせず、アホ程信じていたから

バックヤードをチラッと見せて貰えたんだろうか?



クソ意地が悪い面もあるが、アホ程素直な面もある。

アホ程素直な面というのは、自分ではもう「私はバカなんだな」と自覚している。

治そうとも思ってない。ただ心の大切な部分の周辺がねじ曲がっていくという 厄介なこじらせ具合だけれど、バカな私は可愛いもんだと最近は思ってる。(笑)


やれるだけやってみたら! と微笑ましく眺めてますよ。



後記

こんなに詳しく書いたのは初めてですが、

ひょっとして前にも書いたっけ?と思えてきた。


あやふやです。(-_-)