前世2

前世1の続きを書きます。


遥か昔の私の体験をご紹介します。


過去にも他のブログに何度も書いたが、昔は占いを利用していた時期があった。

社会に出てから、1年に1~2度くらい占い師さんに会うという時期もあったが、今はもう卒業した。

冷静に見たら、人生に大きく影響してないと思えたからだ。

というか、占い師さんに占いの結果を聞いても、特に何も変わらなかった。


起こることはおこる。

起きないことはおきない。


私自身、手相も姓名判断もある程度頭に入るくらい本は読んだが、積極的に他人の人生を観たいとも思わなかった。

占いや性格判断を覚えると、自分の興味本位で観させて!という方もいる。

結構強引に誕生日を聞き出そうとする人も過去にいた。

私がキネシオロジーを覚えた時に「よろしければ練習させてください」と確認したのとおなじだろうが、キネシオロジーは素直に伝えられたが、占いは、なんだかどこかで「やらせて!」というのが「コミュニケーションを省いた覗き見」みたいな感じがするようで、「観て」と言われない限りみない。(あくまで私個人が感じたことです。占いが大好きな皆さんは私の言葉を気にしないでください)

興味の熱量の違いはこんなところで現れるようだ。


が、素人ですが。と伝えたにも関わらず「観て~」と言われた時は観た。

良いことは伝えた。

良いことを伝えても、「嘘だ」と言われたこともあったので、「嘘が本当かはわかりませんが、そういう(手相の)線はあります」と伝えた。

「観て」と言われたので観ても、いろんな反応があった。

人間とは面白い。

私もいろいろ面白い反応をしてきたんだろうと思う。


「あたってる!」と言われたこともあるが、興味深かったのはひょんなことから「嘘だ」と言った方のその後を知る機会があった時のことだ。

「晩年は楽だという線がありますよ。」と言った時に、その方は瞬時に、食い気味に「嘘だ!」と言われたのですよね。多分その手相を観たときがシンドイという毎日だったのかもしれないですよね。

で、数年後、追跡調査などしていないのに、当のご本人と少しお話する機会が生まれた時に

「長年頑張ってきたおかげで、この先の一生は毎月〇〇万円の収入がある。随分楽になる」とおっしゃるではないか! (その金額は確かにある程度豊かな日々が送れる金額だった。)

私は「嘘だ!」と言われた記憶があるので、わざわざこんな話題はふらない。触れない。

ご本人がなぜか私に自分の今後の展望をお話になったんですが、心の底から「良かったですね」と伝えた。


占いの話など、ご本人は覚えていないと思えたので、数年前(10年弱前)の占いの一件の話は出さなかったが、とりあえず当たったようだった。

良いことを伝えて、それが当たると嬉しいものである。


人のいう事を聞かない線。というのもあるけれど、

情報にドンブラコと流されないという良い意味もあるし、人のいう事をきかないけれど、自分で考えて自分でやるという性質も併せ持つことがあるため、私は決して悪いとも何とも思っていない。

だから、こういったことは伝える。


ほとんど観ないので、書けることはないし、前世の話とはまだ連結されていない。

驚かないで欲しいが、まだ助走中だ(笑)



さて、ここからだ。


もう10年以上前、友人がその時期ハマっていた占い師さんがいた。

場所は東京。

私は当時会社員で、東京へ行った際、この友人の占い師さんに予約をした。

今はわかるが、その占い師さんはセルフキネシオロジーも利用していた。

当時はその動作が何を指すのか全く分からなかったし、質問もしなかった。

その方は、「観える」ということがメインで、そこに体の反応確認(セルフキネシオロジーテスト)を併用していました。


当時の私が尋ねたいことを尋ねた後、「あと1つ聞きたいことに答えられますよ」というような運びになり、(もう1つかぁ、なにが良いかな? すぐに浮かばないな)と考え始めた時に

「前世が聞きたいんでしょう?」と占い師さんに言われた。


いや、折角1つ聞けるのに、私は自分の前世には全然興味がない。ということだけはしっかり自覚していたが、「じゃあ」ということでお題が前世に決まってしまった。


私は えっ?! と思ったけれど、当時は今のように気楽に発言できなかったので

返事をしないまま決められたお題に抵抗できなかった。(笑)

どっちみち聞きたいことがなんも頭に浮かんでなかったんだから、折角だからとお題を決めて貰ってありがたいと考えれば、今となってはどうでいい事だし

この占い師さんの邪心の無さは好きだった。


で、その方が見える前世を教えてもらった。

それを伺って、へぇ~とは思ったし、ネタにもなるが、当時は「前世1」の記事にあるような感覚や発想は一切なく、

「もう終わったことでしょ?」「それを聞いてどうなるの?」「それって自己満足になるの?なにを満たすの?」と途端に合理的な脳が働きだしていた。


そう、私は相談者さんたちの次元の行き来のようなサポート、ドライバーではあるようだが、私自身が自分の「過去世を知った」というように自覚を持つ体験は無い。と思う。


全くの初対面の女性にお会いした時に、「あら!久しぶり! 今回(の人生の意味)は初めてだね!」と口から出そうになった不思議な方にはあったことがあるが、それ以来別にお付き合いもない。(車で20分圏内にその当時その方のお店があることは知ったけど)


だから、統合心体カウンセリング™ 中に、相談者の方と一緒に旅へ出る時があるが、人さまの体験を脳内映像で拝見している。という感覚だ。

だから「おすそ分け」という言葉を使う。


しかし、しかししかし、

私は心体カウンセリング™ を始めて

自分の「過去世」「前世」ってそんなに大切?

入り口は「今」なんだから、まず「今」に集中しようよ。という根強い好みに変化が現れました。


それは、「前世」でも「なに世」でも良いのですが、

心体カウンセリング™ を行っていると自発的に表れて、相談者さんにその時の「体感」が思い出されるということがある程度の母数として集まったからです。

(そういえばそれはすでに、キネシオロジーを学んで帰国したばかりの時からありました)


私の強い好みは、母数が集まるにつれ徐々にゆるくなっていたと感じますが

1つの仮説として文章に書けるようになった大きなきっかけはこの時の体験と、その後のご本人のご感想です。


多分、「いつかの記憶」を自然発生ではなく、あえて思い出しに行くという試みをしたことが大きかった。


この「相談者がソレを思い出される」ということも、私にはいろいろ違いがあるように思えていて、その違いを無意識に注目しているようです。そしてこういった事も「弊社データによる」という場所に分類しているみたい。

そうですね。ほとんどのことを、意識をつかって観察をしているわけではないのです。

しかし、解離もしない。かえって脳はしっかり働いてくれています。


「前世」だとか、「多次元」とかトンデモジャンルな話ではあると思いますが、

トンデモだけれど「地に足がついている」とその先に繋がるバランス調整が完了する。

これらの言葉は矛盾しているけれど、体感した方だけは分かると思います。


ということで、今回の記事は

恐ろしく長い助走と、

一体何の話をしているの?と思われそうな話でおわりです。


・・・・次回「前世3」へ続く。

コースが一番お薦めです。


セルフキネシオロジーテストも覚えてみませんか?