前世1 ということは、2もある予定だ。
もうトンデモ発言満載になるかもしれないが、ちょっと書いておこうと思った。
話の流れがないのにいきなり書くなよ!と思いつつ忘れないうちに書いておくと、
前世も来世も今世も無いという説もあり得る。
それは時間が並行して進んでいるというパラレルワールド的な意味だ。
だから、何かの理由が前世にあるという主張や、前世療法や、お告げがあったとしても、それは前世とは限らない。
それは刷り込みと思い込みだ。
でも、どこかの次元にいるあなたであるという(可能性とまでは言わないが)説を唱えてもなかなか楽しいという事に気がついた。
もう前世「教」のように信じすぎるのは私は好きでは無いし
なにかしらのイメージ中で、映画の「メンインブラック」やその他SFのようにカレンダーや日付を確認したという話ならグレゴリオ暦的な過去・現在・未来は確認できるが、それ以外はよくわからんでしょ?
だから、前世じゃなくても良いし
なにかの理由が(グレゴリオ暦的な)前世に無く、来世にあったって
多分なんにも困らないと思う。
時間という概念を外してもOKな方にはね。
だから、前世にも来世にも理由はなく、今世(今)に理由があったって良い訳だ。
というか、そんなことばっかりだと思うが。
というのも、統合心体カウンセリング™ の個人セッションの時に
あちこちの次元らしきものを訪問したような気がするときに
(ところでこれは過去なの?未来なの? まっ どっちでもいっか)という気持ちになる。
薄っすら見える(本当に見えている訳じゃない。脳内映像だ)風景が、今とは全くちがうんだもの。
特に過去とも未来ともわかりづらいのは、誰にも聞いたことのない風景で道具的なものが映像に含まれていない時だ。
判断する情報って想像以上に持っていないもんだなぁ と感じる。
私が何度もこのサイトに書くように、取り立てて前世を特別視していないので
刷り込まれるような情報をもっていない。
だからこそ、「理由は前世にある」と刷り込まれていると、それに合うように体感や情報が創られていくことってあるな~と実感した。
見たい物をみて、見たくないものは見ない。
自分が理解できる範囲(認知)に色んな情報は変換されていく。
またまたトンデモ発言を連発すると、
統合心体カウンセリング™ で
パラレルワールドのあちこちに存在している相談者自身がいて、
パラレルワールドのなかのAという世界にいる相談者自身と
パラレルワールドのなかのBという世界にいる同じく相談者自身が
お互いの存在を知る? 統合されることで
今のストレスが昇華されるということがあるようだ。
それ(相談内容にあがっているストレス)を奥底から癒す?ためには、
AやBの自分を知る?力を合わせる?一緒にケアする?必要があったようにも受け取れるな~と思った事があった。
HELLO! わたし! というような出会いかもしれない。
だから、こんなトンデモ説にのっとって考えると、自分を知るって非常に興味深い。
答えなどなさそうだ。
私のちっぱけな脳では処理しきれないんじゃないかな。(笑)
だから、そういう意味で
パラレルワールドのなかのAという世界を、「前世」というレッテルを貼って、体験を自分の中に落とし込むということはあると思う。
そのAという世界は、実はひょっとして、そういう意味の来世かもしれなくても、だ。
(実は 今 だったりするよ。ふふふ)
そして、そのAやBという世界にいたあなたからみたら、
今私と一緒に統合心体カウンセリング™ を行っているあなたは 過去になるの? 未来になるの?
と、のっけからこんなことを書いてしまうと、この手の話が好きな人は楽しいかもしれないが、この手の話が嫌いな方が読んだら完全にいっちゃってる。(ナダル風に)
ということで、当初この「前世1」に書くつもりのことはまだ何も書いてない。
いつも通り、前置きと横道により本題に入っておらず、助走中だ。(笑)
Alex HuによるPixabayからの画像
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