身心脱落 リターンズか?

おさらい

私が知識として知った「身心脱落」は

道元の語ったと言われているこの一言でしかなく、
そのほかの深い意味などは知らないのですが、
今日、この記事を書こうとして
(身心脱落で合ってたっけ?)とネット検索したら、
なんと「無我」などもこれらに含む理解もあるそうだ。


こちらが以前の記事。

何を「無我」と言うのか、

その感覚がわからないと

言葉だけが、知識だけが一人歩きするんだと思う。


(あぁ今私は無我だな。と思うんなら

既に無我じゃないよね? 違うの?)



なので私は

なにが「無我」を指すのかわかりませんけれど

道元のように「身体が透明になった」と言ってくれた方が共通感覚が有るのでわかる。


何年も前に友人が

「言葉だけで説明する人は、体験してない。

わかってる。理解してる。体験してる。と思い込みたいだけだ」という、とんでもなくわかりやすいド直球を投げた。


いい腕だ。笑

彼女の感性の話を聞くのはとても好きだった。(しばらく会っていないが元気にしてるといいなぁ)


彼女は私の体験の説明を聞きながら、

「用語や単語を使わなくて、感覚を表現しているからホンモノだ。」と評価してくれた。


ホンモノかどうかは、周りの方が行うジャッジなので私には何とも言えないが

こういった私なりの感覚は、私が「魂」という言葉をほぼ使わない理由でも有る。


他のスピリチュアル的な専門用語もあまり使わないのも、同じ理由。


誰からも聞いたことのない体験をしたこと事があるが

「これって魂なんだ」なんて思わなかったもの。

(今でも不明である)


何だろう?

聞いた事ないけど、しかし感覚はしっかりあるんだよな。

という感じのものだもの。


それが魂かどうかなんて

一緒にそれを見たか

全く同じ体験をして、

「それはどうやら魂らしいよ」とでも言われない限りわからないもの。


ある意味では、非常に現実主義な気分でいる。(笑)




しかし、例え言葉だけで理解したつもり、体験しているつもりになっていたとしても、
体験したら「あぁ、わかってるつもりだったんだ」って気がつく。
「初めてわかったんだ」って気がつく。


それで良いんだと思ってるし
私もこれまでの人生はそんな事の積み重ねだった。
そして、これからもそうだと思う。

それはそれで、楽しみだ。


ここからが本題。どうやらリターンズだ。

と、いつも通りキッチリと横道にそれたので話を戻しますが、

ある晩、自宅で、「初体験」をした。

(この体験の詳しいことは当面書くつもりはないのですが)

なんだ?、なんだ? と思ってるうちに身体の反応が進んだのです。


そして、

翌日、その翌日も身体の変化はおきて

3日目にふと気がついた


ヤケに身体が軽いな

軽いにもほどがあるな。

体重5グラムくらいの感覚だな。

内臓(骨も筋肉も含め、体の内部が感じられない感覚。虚無感の穴とは全然違う)がない感じがするな。


いや、こりゃあ また透明になってんな。


という感じで認識した。



以前のようにそれらしい石も触ってなくて、

いつも通り瞑想なども一切してない。

それどころか、俗世丸出しのバイオレンスなのかアクションなのかの映画を見ていた時だったから(ちなみに、ジョン・ウィック2だ)


ん?

ん?

なんだこれ?

という感じだった。


私が、自分を面白く感じるのは

いくらこんな事があっても

日常生活には変化がない事だ。


前回から数年ぶりに体験していたら

お! 久しぶり!と それなりの感情も動いたかもしれないが

こんなこと書くのもなんなんだけど

この手の事にちょっと慣れてきてるみたいで、感情も平板であった。


ただ、初の身体の変化に「ん?こりゃなんだ?」とは思った。


前触れ

前触れはあったのか?と思い起こしてみたんだけど

強いて言うなら

この少し前から食欲が減り始めていた。


むくむくと太り始めていたので、

食欲減退の自分を

(おっ! ラッキー! 食べたいのを我慢してツライ思いをしなくても良いなんて助かるぅ)と呑気に喜んでいた。


これが出来事の前。


そのあとも

これと言った異常事態も起きず

人様といつも通りコミュニケーションをして

実務をし

ルーチンワークがあればそれをしていた。


思い出した

これと言って前触れはなかったと今の今まで思っていたけど

あったなー


あったよ。あった。


お仕事に関することでちょこちょこありましたわ。



で、今はどうなってんの?


私が自分でも不思議だと思える体験に

傾倒しなくて

ウットリしないのは何故なんだろう?


知識を前もって入れて過剰解釈しないということも理由の1つなのかもしれない。

ありがた感を創り上げてないというか。



こんな時に、

私の脳内のどこかの神経がちょっと接触不良なのかな?と思ったりする。笑


この方面の感受性が鈍いのかも知れない。


それか、風の便りやネットで情報発信されてる特定の方々が

熱狂しすぎなのかもしれない。


浸りすぎちゃうって事が、

もう既にそもそも論として私とは違っているのかもしれないね。

(こんなことはそれぞれの自由だ)


この手の事って、多分

普通の日常生活に含まれてる事なんだな。


やけに身体が軽い時なんて他にもあったし。


その時に意識をそれに向けなかっただけで、ひょっとして以前や今回みたいに透明だったのかもしれない。



そして、

今後どうなるのかは私にはわからない。

これによって今後に何か変化が起きるのか、起きないのか全然わからない。


全てひっくるめて

ただ有り難く体験していこうとだけ思ってる。


特別な体験がなくても、

明日からも機嫌よく過ごしていきたいし

健康で笑い声のある生活をしていきたい。

日々の暮らしを満喫して、大切にしていきたい。



ただ、人生に何度も

「何にもなくなっちゃった感じ」が訪れることだけは今の私は知っている。

それが道元の心身脱落と言われた状態に似ているようだという話です。


ただこれだけの事実のお話でした。

なんにもなくなちゃった別のバージョンです。




日常生活に含まれているという感覚を書いた記事です。


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各種キネシオロジーとオステオパシー、タッチなどの総合施術による「内なる大宇宙につながる・ヒーリング【こすも】」を始めました。本来の自分と乖離しているように感じる方に「内なる宇宙」を思い出し、内外の統合を取り戻すサポートをしています。「自分の生」「純粋な感性」「自分との調和・統合」の体験をオススメしています。自己内外一致で生き易くなります。 心理・心体カウンセラー™ 武田美紀。