もう一度、憑依について再考してみると



結果的に三部作になりました。


そして、もう一度元に戻ってみます。

目に見えないものは霊的なものに限らず、世の中には多くの「見えているつもりだけど見えていないもの」があります。

いや、霊的なものは見えるよ。という方も、
知らずに自分というフィルターを通していて、そういった制限はかかっている場合が多いようですが、私はその話を書きたいわけでは無いので今回はパス。


ここで質問させてください。


もし、あなたが

『人間は生まれながらに完全で、何も欠けておらず、何も不足していない。』

と言う説を採用しているとしたら、

そもそも憑依など無いことになります。


心の底からその説を信じているけれど
実際は憑依を感じるのなら
顕在意識と潜在意識はどんな兼ね合いになってるのか教えて欲しいです。
茶化しではなく、私は真剣にお聞きしたい。

この時の憑依を
「入られる」「乗っ取られる」のだとしたら、
完全なものの何処にナニカが入る隙間があるのか?
乗っ取られるのだとしたら、何処に入り込むスペースがあるのか?
その感じ方を私はとても真面目にお聞きしたいのです。

解決の余地はあるのか?を考えたいからです。


その時の「憑依」が【くっつく】のであれば、

『人間は生まれながらに完全で、何も欠けておらず、何も不足していない。』説との兼ね合いは?

そのくっ付いた状態が完全なので、

理屈上は元からくっ付いている事にはなりませんか?

ですから、異物ではないという事になります。



ただ、それが、他所から来たものでなくて、あなたの内部に発生したものであれば
私にはその方がなんとなくスッキリします。


「憑依」って昔から目や耳にしますよ。
テレビだ映画だ、小説で。



そして、誰にも言う機会は無かったのですが、

私はかねがね「憑依するのは外からくるもの。」という設定、考え方が多いが(ある意味常識だか)

「それが生まれる(始まる)のは本人の内側では無いだろうか」と考えておりました。

これに関する一般論、予定調和、常識などはどうもピンとこなくなったんですよね。

良くないものが入り込む? う~~ん、そうかなぁ? と思うようになったのは10代の頃でしょうか?

いや、20代だったかな? 忘れましたが結構昔です。


自分の考えを発言する場も無かったけれど

4年ほど前、唐突に これを異なる場所で2回話しました。

言われた方々は話の脈絡とは全く無関係に突然自分の意見を言いだしたのに「どうしたの?」と思われたとは思いますが、有り難いことに2回ともそれにその方の返答を下さいました。


1回は「その考え方は神道の考え方だ」と大変貴重な情報を頂いて、
もう1回は(その方はキリスト教徒でいらっしゃいましたが)
「確かに言われれば宗教によって捉え方が違うなぁ。考えた事無かった」との事でした。

正解は知りませんが、
内側ということでしたら、
その状態が全て完全な状態。という事とも抵触しない感じがするんです。
全てひっくるめて完全という事。

完全な状態は固形ではなく、変化をする柔軟性があるというイメージです。



その状態も変容していくでしょうから
ある意味 捉え方が変わればある程度解消されそうです。


では、『人間は生まれながらに完全で、何も欠けておらず、何も不足していない。』説を採用せず
意識的にも無意識的にも「人間は不完全で欠けている」「私は欠けている」「不足しているので補わなければ」と思えば
その欠けた場所には 他のナニカが入り込む余地がありそうです。

欠けていると思っている分量だけ入りそうです。

(いろいろな依存症もこういったことも引き金になりますしね)


しかし、この欠けに対して
「欠けている」という感情や想いの手当てをしていくと
やはりこれもある程度解消出来そうな気がする。


今まで書いてきた事を思うと
霊的なものを特別視する前に
対処できることはたくさんありそうです。



それは、何度も書きますが
心理的な要因のお手当、対処や気づきです。


あなたのココロが健康的になればなるほど、
(何かが憑くのでしたら)
その質も良い方向に変わりそうです。


そもそも良いものも悪いものも、
何も憑かなくても良いわけですから。



真ん丸な健康。
そこにはなにも入り込まない。


不思議な事だけに限らず、
いつもの生活を送っていても
環境の過剰な影響を受けなくなりませんかね?

私の個人的な感覚ですが、
十分なココロとカラダのケアをすると満ちてきます。
内面が満たされると、そんな感覚が湧いてきます。


それは、
満たされた感覚を探すものではなくて、湧いてくるものです。

満たされたフリではなく
知らずにふと湧いてくる。

焦らずコツコツと自分を大切にしていく事が最短距離だと思っています。


ここまでを書き終えて、ある本を読みました。

また例のごとく私よりも余程分かりやすく書いてありました。

それもそのはず、心理学の大家の本ですから。


私が初回の記事に「仕返しへの執着」と書きましたが

この本では「わけのわからない復讐心ほどむだなものはない」と書いてあり、

私の「無意識下の健康」と書いたものは「自我」と現わされており

私が前回書いたことについては

「自我が弱いと、外界の知覚をすぐに内界のイメージと融合しやすい」と書いてありました。


私の文章を当てはめるのでしたら

あら?あれは何だろう? う~む、肉眼では見えないが・・・見えているように感じる気がする。という段階がなく、

何かが見えた気がする。それを疑うことなく瞬時に天使(悪魔)だ!と決めること、思い込むことです。何かがあった=天使だ というノークッションな様だという事でした。


やはり「自我」ということは深く関わりがあり

憑依などに思える現象を本気で改善したいと思われましたら

心のケアと体からのアプローチをお薦めします。


この時に「シャドウの統合ワーク」をご利用ください。


河合先生の本にも、影を背負って生きてゆくのは万人。

影の自覚と影の統合は無限の水の中から、自分の掌の大きさに合わせて一すくいの水をすくいとるようなものだ。その一すくいの水にも無限の粒子を含んではいるが。と書かれていました。


一足飛びに飛び級を焦るのではなく、

最初のきっかけに「シャドウの統合ワーク」をご利用ください。

そして、自分の心と末永く付き合う準備をしてください。


自我が育って、強くなるにつれ

「憑依」に感じる現象も少なくなるのではないでしょうか?

何度も書きますが、それが悪いわけではなくて

心理学的アプローチを加えたら、

今より楽になるのでは?という提案です。


無意識という言葉も上でご紹介した書籍にも出てきます。

一度読んでみてください。


この続編も書くのか? と思っていたけど今回でおおよそ書けたかな?

もし続きがあれば また書きます。











沖縄と名古屋で自分の内なる宇宙を思い出す総合施術・ヒーリング「こすも」™️

各種キネシオロジーとフェイシャルキネシオロジー、オステオパシー、タッチによる「内なる大宇宙につながる総合施術・ヒーリング【こすも】」を始めました。本来の自分と乖離しているように感じる方に「内なる宇宙」を思い出し、内外の統合を取り戻すサポートをしています。「自分の生」「純粋な感性」「自分との調和・統合」の体験をオススメしています。自己内外一致で生き易くなります。 心理・心体カウンセラー™ 武田美紀。