沖縄と名古屋 心理・心体カウンセラー ™️武田美紀

各種キネシオロジーと深層リンパドレナージュによる「内なる大宇宙とつながるコスモセッション」を行っています。本来の自分と乖離しているように感じる方に「内なる宇宙」とつながり自分と一致して本来の自分を取り戻すサポートをしています。健康な方も「自分の生」「純粋な感性」を感じられる「コスモセッション」をオススメしています。

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タコ人間な気持ち

昨日久しぶりにこのサイトに記事を書いて(記事を公開した後 内容を少し書き足しています)その流れで以前書いた記事をいくつか読み返しました。自分の文章を読み返して思った事は、「硬い」と感じたことと伏線や遠回しな表現が多くて 分かりづらい。これからは、そこを改定していきたいと思っています。早速、今日も参りましょう。今日の内容は、私とクライアントの共通認識があった出来事です。総合心体カウンセリング™ (最初に「こすも」と名付けた総合施術のことです)をオーダー頂いたので、お話を伺って行う心体カウンセリング™ が約1時間。その後、施術ベッドに横になって頂いて主に体から回復へのアプローチを約1時間行いました。施術をしていた私からは それほど特徴的に体が動いているように見えないのですがクライアントは施術中体が活発に動くのを自覚されていたそうです。傍からは動いていないのに、ご本人がそう感じることはあります。「気」を整えることをすると、見えない部分が変化していくので、それを五感では感じられるけど現実的に視覚では捉えられないという事があるんですよね。手足の関節が「自分ではこんな風に動かせない(角度やねじれ)」と思う感じや自分でブルブル筋肉を動かしたってこんなに細かい振動などできないと思うような動きを感じるのです。私はこれを施術を受けた日の晩、就寝中に感じました。体の異変を感じて目が覚めたのです。その位体は活発に動いていました。夜中に自分の身体の不思議な活発な動きで目が覚めた私は「今、私の体は タコ人間になったように不思議な動きをしている」と認識して まもなくまた寝入ってしまいました。この時のクライアントは施術後にそのまま少し横になって頂いている時に私がかつて感じたような「体の動き」を感じたそうです。「施術が終わった後の方が 体は活発に動きますね」とおっしゃっていましたから、その点は私と同じですよね。その日の夜なのか、終わってすぐなのか という違いでした。この時は他にももっと興味深いことがあったのですが現在は書くことを躊躇っています。

実は体験というか、そんな気がした経験もあるんです

そうです。もう一回書く予定が・・・あれ?書き終わったっけ?と思いましたがそうです、今回の記事を書こうと思っていたんです。ですから結果的に四部作になりました。あなたは「憑依」の経験がないから理論だけで本当のことが解っていないんだ。と別にどなたにも言われていませんがもし文章を読んでいる方が一方的に責められている気持ちになられたら申し訳ないので背景とまでは言いませんが、私の経験を書いていきます。これこそこの「こすも」サイトに登場する不思議ジャンルです。前回の3回が今までとは毛色が違っていたんでしょう。20歳の頃でした。19歳か20歳かどちらが正確かは・・・。19歳だったかな。それこそ 眠っていた時に悪夢を見ていてその悪夢が夢じゃなくて こりゃ本当だ。やばい。と思うような展開になり完全に目が覚めてダメ押しで 何かが体に入ってきた感じがしました。この時の感触は今までも数名の方に話したことがありましてその入ってくる感覚が おそらく実体験では同じことは生物上無理!という感じでした。そのまま月日が経ち私は当時コーチングを勉強していましたがキネシオロジーや他の手技とは出会っていませんでした。波動を調整する人がいると聞き、ふ~ん、そうなんだ。とそれまでそういった事に興味が無いままに友人の話を聞いてそこを尋ねました。日頃忘れていたけれどそういえば、20歳の頃に何か入ってきましたがあれがどうなってるのか分かりません。とその方に伝えたらそれは何か対処したんですか?と聞かれました。その体験から10年以上経っているわけですが。と。何か対処って? なんです?と聞くと除霊とか。とのこと。どこでそんなことをしているのか知らないので行ってません。と言ったら「あなたはとてもノンビリした人ですね」と言われました。で、こんなやり取りがあって結局「入っていましたが、波動調整後出ました」ということでした。今思えば、私が施術中に「離れた」と感じたのと似ているのかもしれませんしクライアント氏が「居なくなった」「何かが出た気がする」というのと似た感覚があったのでしょうね。しかし、その当時の私は「出たと言われたけれどなんにも感じない」信じるのも信じないにも私次第ですという感じでした。その当時は前回のブログに書いた『人間は生まれながらに完全で、何も欠けておらず、何も不足していない。』からは程遠くて「私はとても欠けています。身体に風が吹き抜けます。」という感覚でした。19歳のころなど結構苦しい時期だったのでナニカが「入る」としたら そりゃそうだろう。という感じ。だから、「入ってきた」と思うだろう感覚を人間は感じる。ということは体験しました。本当に入ってきたのかは分かりません。感じたことは確かです。こんな経験があった上で じゃあ今は?と思うと数年前に「満ちた」「穴が埋まった」と感じた後なので(当時も忘れて生活していたくらいなので)まぁ大丈夫でしょう。他にも「こりゃ何だろう?」と思うようなことがあったらもう検証する術を手に入れたのでその結果に対処しています。自分で検証する際に、「これは自分の内側の反応だ」「ミラーニューロンだとしても、それも内側だからね」と思っています。コツコツと自己の反応をバランス調整していくだけです。それは「みんな一緒」という集合的無意識としてもそうです。内側。昨日ご紹介した書籍によると自我が強くなったのでしょうか。気長に自分の心を労わる。アンバランスをバランス調整していく。自己内部の矛盾を整理していく。顕在意識と潜在意識のバランス調整をする。私はこれをして楽になりました。自分を労わることを諦めませんでしたよ。皆様も大切な人生、コツコツ取り組みましょう(^^)

もう一度、憑依について再考してみると

結果的に三部作になりました。最初に憑依について書いて次に、目に見えてない事・物の受けとめ方を書いてそして、もう一度元に戻ってみます。目に見えないものは霊的なものに限らず、世の中には多くの「見えているつもりだけど見えていないもの」があります。(講座でも度々お伝えしています。)いや、霊的なものは見えるよ。という方も、知らずに自分というフィルターを通していて、そういった制限はかかっている場合が多いようですが、私はその話を書きたいわけでは無いので今回はパス。ここで質問させてください。もし、あなたが『人間は生まれながらに完全で、何も欠けておらず、何も不足していない。』と言う説を採用しているとしたら、そもそも憑依など無いことになります。心の底からその説を信じているけれど実際は憑依を感じるのなら顕在意識と潜在意識はどんな兼ね合いになってるのか教えて欲しいです。茶化しではなく、私は真剣にお聞きしたい。この時の憑依を「入られる」「乗っ取られる」のだとしたら、完全なものの何処にナニカが入る隙間があるのか?乗っ取られるのだとしたら、何処に入り込むスペースがあるのか?その感じ方を私はとても真面目にお聞きしたいのです。解決の余地はあるのか?を考えたいからです。その時の「憑依」が【くっつく】のであれば、『人間は生まれながらに完全で、何も欠けておらず、何も不足していない。』説との兼ね合いは?そのくっ付いた状態が完全なので、理屈上は元からくっ付いている事にはなりませんか?ですから、異物ではないという事になります。ただ、それが、他所から来たものでなくて、あなたの内部に発生したものであれば私にはその方がなんとなくスッキリします。「憑依」って昔から目や耳にしますよ。テレビだ映画だ、小説で。そして、誰にも言う機会は無かったのですが、私はかねがね「憑依するのは外からくるもの。」という設定、考え方が多いが(ある意味常識だか)「それが生まれる(始まる)のは本人の内側では無いだろうか」と考えておりました。これに関する一般論、予定調和、常識などはどうもピンとこなくなったんですよね。良くないものが入り込む? う~~ん、そうかなぁ? と思うようになったのは10代の頃でしょうか?いや、20代だったかな? 忘れましたが結構昔です。自分の考えを発言する場も無かったけれど4年ほど前、唐突に これを異なる場所で2回話しました。言われた方々は話の脈絡とは全く無関係に突然自分の意見を言いだしたのに「どうしたの?」と思われたとは思いますが、有り難いことに2回ともそれにその方の返答を下さいました。1回は「その考え方は神道の考え方だ」と大変貴重な情報を頂いて、もう1回は(その方はキリスト教徒でいらっしゃいましたが)「確かに言われれば宗教によって捉え方が違うなぁ。考えた事無かった」との事でした。正解は知りませんが、内側ということでしたら、その状態が全て完全な状態。という事とも抵触しない感じがするんです。全てひっくるめて完全という事。完全な状態は固形ではなく、変化をする柔軟性があるというイメージです。その状態も変容していくでしょうからある意味 捉え方が変わればある程度解消されそうです。では、『人間は生まれながらに完全で、何も欠けておらず、何も不足していない。』説を採用せず意識的にも無意識的にも「人間は不完全で欠けている」「私は欠けている」「不足しているので補わなければ」と思えばその欠けた場所には 他のナニカが入り込む余地がありそうです。欠けていると思っている分量だけ入りそうです。(いろいろな依存症もこういったことも引き金になりますしね)しかし、この欠けに対して「欠けている」という感情や想いの手当てをしていくとやはりこれもある程度解消出来そうな気がする。今まで書いてきた事を思うと霊的なものを特別視する前に対処できることはたくさんありそうです。それは、何度も書きますが心理的な要因のお手当、対処や気づきです。あなたのココロが健康的になればなるほど、(何かが憑くのでしたら)その質も良い方向に変わりそうです。そもそも良いものも悪いものも、何も憑かなくても良いわけですから。真ん丸な健康。そこにはなにも入り込まない。不思議な事だけに限らず、いつもの生活を送っていても環境の過剰な影響を受けなくなりませんかね?私の個人的な感覚ですが、十分なココロとカラダのケアをすると満ちてきます。内面が満たされると、そんな感覚が湧いてきます。それは、満たされた感覚を探すものではなくて、湧いてくるものです。満たされたフリではなく知らずにふと湧いてくる。焦らずコツコツと自分を大切にしていく事が最短距離だと思っています。ここまでを書き終えて、ある本を読みました。また例のごとく私よりも余程分かりやすく書いてありました。それもそのはず、心理学の大家の本ですから。

憑依ということ

時々、前回の記事とは違うジャンルの「これは何だろう?」という現象を【感じた気持ちになる】時があります。あまり気持ちの良いものではないようですが正体は知りません。あると思えばある、無いと思えばない。前回の記事と同じです。まぁ現象は現象として解決方法はあるのかな?と思うわけです。私は除霊などをするスキルはありませんが施術中にそれらが 離れていくようなイメージが湧くときもありました。ご本人もそう感じたと思う場合の方が多かったけど私がしているのは除霊ではなくて「健康」を目的とした手技です。数少ない経験をよくよく考えてみるんです。何が起きたのか? と。複雑さのバリエーションは数限りなくなるのでここでは物事をシンプルに考えてみました。それは、やはり「健康」というものはシンプルな言葉ではあるけれど「無意識下の健康」というようなものがあるのなら それに越したことはなさそうだ。という事でした。誰にでも光も闇もありますがそれとは別に自罰思考や、自分の思い通りにならない世の中への呪い、結局は自分が痛むのに、こんな私にした責任は〇〇にあるのだ。と苦しみの解決には繋がらないけれど手放せない ナニカに対する仕返しへの執着。自分のこのような痛みは〇〇のせいだ。と、もうその〇〇はあなたの苦しむ姿を見ることは無くてもまた、あなたの苦しむ姿が仕返しをしたい本人に罪の意識を持たせることが出来なくてもそれでも身を切って仕返しだと思う事をせずにはいられない。本当は理解して欲しい、認めて欲しいという執着。そして、それをしている自分に気がつかないこともそうですが正当化している思考。他にもいろいろ考えられますが、あくまで推論です。度々除霊をしても余り好結果を得られないのならばご本人が「私は一度試しに 心体健康になってみよう」とお決めになってそれを行動に移すことが最適な解決法かと思います。多分、ゼロにはならないかも知れないけど回数は減るような気がします。行動とはセッションを受けることもそうです。自分の思考や行動と向き合うこともそうでしょう。心理を自分一人ででも研究せずにはいられない私は従来通り憑依自体は霊的なものとしておくにしてもそれを招く、または拒絶できない、拒絶しない「心理」を考えるわけです。先ずは「自分自身でいる」ということを願っているのか?とも思うしなにかの能力への依存か?とも頭をよぎることもあります。だからこそ心体カウンセリングがお役に立つとも思っています。先ずは「自分自身でいる」ということを願っているのか?なにかの能力への依存か?ということも、アンバランスがあるのなら 思考のバランス調整をして冷静に自分を見つめてみる時間を増やすという事をお薦めしたいからです。そして、憑依などのケースは深層心理の反応としてそれ以上「健康を望まなくなる」というケースもあるようです。分かりやすく書くと、憑依が改善することから逃避するということ。いろいろな理由をご本人もおっしゃいますがなにかスッキリしないけれど今の状態で良し。と結論を出されることです。以前は、もう少し「心体の健康づくり」というものに意識を向けて欲しい。と正直思いましたが、今はそれらも含めて大抵のことを「それを望んでいるんだ」と思うようになりました。これはメインブログでも時々書いていますが私の個人的な「良かれ」は私以外の方に「良かれ」とは限らない。それは私自身もそうです。頼まれてもいないご本人が望んでもいないのにその問題に関わる事はやめています。そ・れ・は 押し売りになると思うしご本人が(それが私の課題ならば 私が)「いっちょう それに取り組んでみよう」と思うこの場合でしたら憑依のようなことを改善したいという心構えの影響が大きいことを実感するようになったからです。それに、自分の行動パターンを変えるんだ。とういう気持ちが無いままに誰かに何とかしてもらおう。ということは同じことが繰り返されて、結局変わらない(この場合でしたら 憑依を除霊しても除霊してもまた憑く)という事ではないだろうか? と特に霊的な課題ではなくても同じパターンを繰り返すパターンの1つであろう。こう思う事もあるんですね。自分はなにも変えたくない。が、しかし幸せになりた。もし、今幸せになりたい。と思う気持ちがあり、幸せ感がないのでしたら同じことをしていてはおそらく 変わらなくて同じでしょう。ということは幸せを感じることは近づいてこない?自分が小さな変化だとしても何ができるのか? ということを始めることが今回のタイトルの「憑依」ということを少しでも軽くする1つの方法ではないかと思います。ですから私が「不思議」と勝手にカテゴリ―わけしていることは時として人の成長を阻むこともあるのではないかと思っているので不思議ならなんでもOK という事には私の場合はなりにくいわけです。不思議すらも ちゃんと「見る」。憑依という現象だけの対処ではなく(それでは結局繰り返す率が高いままのように感じるため)ご本人の心理こそお手当が必要だろうということは強く思っています。「憑依」という事からの離脱は時間がかかるでしょう。ご本人が変化をしないままでは繰り返すことが多いようですから。心から 質も量も十分なお手当をお薦めしたいです。良いとか、悪いとかではなくて「本当にお困りなら」心体のお手当を自分の為にしてください。

今日は少し違うジャンルの話で「憑依」について書こうと思っていたのに全然違う「天使」の事を書いてしまった

この「こすも」のサイトではまだまだ一般的な理解を得られていないかもね。という類のお話を書いています。馴染みのある方?にとっては当たり前の話なのでしょうがそれがマス(大衆)かと言えば案外そうでもないことが多いと思います。しかし、興味のある方はいらっしゃるわけで、私が勝手にこれはいつものブログ、これはホームページ、これはこの「こすも」のサイトと区分分けしています。どれも体験談や考えたことです。特にこの「こすも」のサイトは、お客様の声から生まれたものなので私の実体験というより、お客様の声という意味合いが強いです。そして、もう1つご説明しますとこのサイトに記事を書くことについてまだまだためらう経験もあり、それはお蔵に入っています。蔵から出てくるのかどうなのかは現在不明です。また、お客様の経験も共通点があるので、毎日この「こすも」の記事が書けるほど仰天することも少ないという事。日常生活を送っています。という前置きや説明があっての久しぶりの記事のアップです。(この前に何気ない記事や、名古屋の2017年 7/21~23のセッションや講座のお知らせは書いています)このサイトでも度々登場していますが、キネシオロジーのセッションで頭に触れる手技がありましてそれをしていた時のお話です。私はこのような存在について 無意見派(以前はホントに?気のせいじゃなくて?と非常に懐疑的でしたが、この先に書くようなことが自分にあり、保留・未解決の棚に移動しました)なので、私の口からこの単語が出てくるのは「こすも」のセッションの際になにかが現れたような映像が浮かぶ。または、浮かぶような気がした。だから、滅多やたらに口には出さないけれど、ひょっとして見えるという方たちはこのようなものが見えているような【気がしているのかもね】と捉えていました。

波動調整と宇宙のサイズ

メインブログにも波動調整のリクエストについて書きました。こちらのサイトでは、メインブログでは控えめ?にしているもう少し具体的な事を書いていきたいと思います。通常のいろいろなセッションや施術の際もまぁいろいろな不思議が起きるようになりもはや不思議というには症例数が多いようになってきました。不思議ベーシックというような矛盾した言葉遣いになりますね。(笑)通常の心体カウンセリング™ での個別のお申込みはもちろんその時のベストをご提供しています。オマケ・サービスのようなこともすることもありますが、それでも あえて「こすも」とお申込みいただける方にはやはりご本人の覚悟や腹のくくり方が違うのでしょう。お金がエネルギーという事を言うならば、その分のものを受け取ってお帰りになるという事だと思います。これはご本人の中の循環に影響しているのだろいう。というのは今のところのMy統計です。(余談ですが、結局循環って、自分の中の循環もそうですもんね。これについては、また別の機会に文章にしたいと思います。面白いですよ。)そして、大変忙しくてしばらくお会いしていなかったクライアント(敬称略)の波動調整の際に私の脳裏に映った銀河の大きさは以前より小さくなっていました。「あぁ 少々お疲れというのは、確かにそうなんだろうな」と思いました。